努力に裏切られた人へ。
どうも、モケです。
みなさん、努力してますか。
今回は、努力に裏切られてしまった人、
もしかしたら裏切られるんじゃないかと思ってる人に向けて、話したいと思います。
1.努力は全然裏切る
サンプル数1の僕の大学受験の結果から、結論。
努力は普通に裏切る。
僕の例だと、数学は一番やったのに、受
験では一番足を引っ張った。
高校入学当時、数学好きでした。
高校三年間、一番勉強したのは圧倒的に数学です。1000時間は余裕で越えてると思います。
そして、ケアレスミスを防ぐための方法もいろいろ考えました。
数学の興味を引き立てるために数学者の面白い本とかちょくちょく読んでいました。
数学のできる人の動画をみて感覚を掴もうとしてました。
授業では黒板を使ってみんなに解説するということもやりました。
客観的に見れば足りない部分はたくさんあったと思います。
しかし、これは努力としか言えないくらいにはやりました。
それでも結果はついてこなかった。
みなさんにも、努力が普通に裏切ってきた経験あるのではないでしょうか。
まるで、息をするかのように、
あいつは裏切るし、報いも与える。
2.努力ってそもそも自分にとってキツいってだけ。
じゃあ、努力ってなんだ?って考えると
努力 = 自分にとっての負荷の大きさ
だと思うんですよね。
自分にとって肉体的につらいことだった
り、精神的に苦しいことをやるってこと
自体が努力ってだけなんじゃないかと。
(いろいろ細かいところはお見逃しを(>_<)m(__)m)
こう定義すると、努力をするといいとか、偉いとか、そういった思考から抜けられそうですね。
(やばお、勝手に結論だしてんよこの人(*´∀`))
3.自分が人よりもできることって努力どころじゃないかもしれない
最後に一番言いたいところで、なかなかまとまらないのですが、
成果がでるとこって別に努力してないところの
可能性もあると思います。
(てかそんな感じの話を聞いたこともある)
実際自分の例だと
学校の成績は努力してきたテストの結果に比べてはるかに良いです。
しかし、僕は成績を上げようと思って、脳みそを働かせたり、努力をしたことは一ミリもありません。
(それでもその成績をとれたのは、課題提出、授業一睡もせずに聞く、定期テストはちゃんと点数とる(数学を除く)、が安定してたからだと思います。)
こうした事実を突きつけられると、努力って意外と小さい部分なのかなって思います。
自分で平気にできることで、周りの人からみたら、圧倒的な努力に見えることがある。
これが大方の努力を説明できるような気もします。
まとめ:周りと自分の努力ギャップに目を向けるの大切かも
ここまで、努力ってなんだろう、どうして裏切るんだろう、
ってことを感覚的に掴んでもらえたのではないかと思います。
ぜひ、自分の体験を想像して見てください。
努力ギャップはもしかしたら才能と呼ばれるかもしれないですね。
自分はそれをなんとか生かせないか探ってみたいです。
みなさんもよい努力ライフを。
それでは、さようなら。