共(今日)行動のブログ

開放と成長、僕の価値観トップ2。

怒られるのが半端なく怖い。

どうも、モケです。

 怒られるのが半端なく怖い、はっきり言ってこれが今の僕の原動力だと思います。

・なんで学校に行ってるの?

→親に怒られる、先生に怒られる、知り合いに怒られるのが怖いから。

・なんで部活をやっているの?

→先生、親に怒られるのが怖いから。

・なんで自分の好きなことやらないの?

→勉強、部活で頭いっぱい!

とこんな感じです。これを繰り返して17年。そりゃ真面目にもなります。

 まあこれで幸せならよかったのですが、そうもいかないわけで、小さな違和感でてくるんです。これがどうにもこうにもうまくいかなくなって苦しくなったのが今なんですね。親や教師がいうことはかなり的をいているときもあるが、これは違うだろってのもある。

国語が大切だ、入試に使うから。

入試は大切だ、大学にうかるから。

じゃあ大学に入るのはなんで大切なの?これは教えてくれない。僕が高校に入ったときから、大学に入るためには何々と言われてきました。じゃあ大学に入らないならその高校に行く必要ないなと思ってしまいます。親はこう言います。まず、学校に入りなさい。なにが起きるかわからないから。お金なくちゃ生きていけないんだよ。お金を稼ぐには仕事をしないとでしょ。仕事を得るためには会社に入らないと。企業は大学を卒業した人を選ぶんだよ。だから、大学に入ったほうがいいんじゃない?こんな調子です。論理的に見えますが、僕からみたら明らかに論理が破綻しています。

・生きるためにはお金が必要

→食べ物があればいい、最低自給自足でい・い。

・お金を得るには仕事が必要

→まあこれは仕事どう呼ぶかによって変わる。だけど、会社に入らないと成り立たないのが仕事だというのは違う。(ブログでもお金を稼ぐ人がいる。)

・企業は大学を卒業した人を選ぶ。

→そういう会社を選べば別。だけどそうじゃない会社もいっぱいある。

・大学に入った方がいい。

→本当にそうかな?

こんな風に矛盾している点がいろいろありすぎて、親に反発したわけですけど、まあ分かってもらえない、泣かせた。もう失望しかない。親には今まで育ててもらったことには感謝しています。だけど、といいたいところだけれど、結局高校入ったのは他でもない自分である。そう、恨むべきはこの自分である。結局今までの価値観変えないで同じ部活にも入ってしまった。今まで嫌だと思い続けてやっと辞めた部活に。そしてまた苦しくなってる。何やってんだおれ。責めたらどこまでも止まらなくなる。変えられるのはいつも今だ。だから、今辞めるっていう選択肢ももちろんある。そうなればなにが問題かは明らかだ。今の僕の心理状態である。本当に嫌なら辞めればいい。そんなことは十二分に承知だ。じゃあなんでできないのか。辞めないことを選んでいるからだ。じゃあなんで?怒られるのが怖い。

 なんで怒られるのが怖いんだろう。問いはまだまだ続く。