共(今日)行動のブログ

開放と成長、僕の価値観トップ2。

心に余白を。

どうも、モケです。

 今日心を1つのことに染め過ぎていないか、と問う日でした。「本気」「一生懸命」という言葉の変な部分も同時に見えてきました。

 何かを頑張る、集中する、これによって成し遂げられるものがあり、それは時にカッコ良く見える。そして、大人からも一生懸命になることが大切であると教えられる。有名な経営者の人もそう言っている人が多いように感じるから、ある種正しい面があるのかもしれない。

 だが、頑張りすぎるためには心を削る、なくす、そんなようなことが必要になってしまうのではないかと思った。

 無理に何かを頑張ろうとすることは心に違和感をもたらす。本当にこれでいいのか、と。自分の気持ち出てくる時に押し殺してしまうと、空虚な気持ちになる。孤独、退屈、なんともいえない気持ち。なんだかよくわからないけど、苦しい。

 そんな時には、心に余白をつくっておこうと思った。空白でも呼びかたは何でもいいが、それがあるだけでだいぶ違うような感覚がある。

 何の意味もないけどただあるもの。そんなものがあるただそれだけで癒やされる。気がする。心に余白を、一神教的に何かに没頭したり、盲目的になったりして辛い時、余白があれば楽になれるんじゃないだろうか。そこからできることをやっていけば良くなるのかな。

 これは日本に昔からある多神教的な考え方と似ているような気がする。1つの神だけじゃなくて、それぞれの神。絶対や正しいことは1つじゃなくてたくさん。そんな意識を持っているだけでもこの心の苦しさはすこし軽くなる気がした。